其の六
旗本(つづき)
旗本と名がつけば、すべて主人は殿様と呼ぶ。
それから奥様。長男は若殿様とか、若殿。次男からは名前を呼ぶ。娘はお嬢様。
2015年の日本では主人はご主人、または旦那様、奥様は同じ。
以前、八丁堀の7不思議でも触れたが、江戸時代の一般的な呼び方と比べると、どうやら現代は7不思議に入りそうである。
芝居やテレビに出てくる旗本は500石以上と思わなければならない。
そうでないと見た目が旗本らしくない。
500石以上の旗本をいわゆるお歴々、1000石以上を大身と讃えていた。
馬は100石以上、乗り物は1000石以上から持つことを許されている。
500石以下、150~300石くらいの旗本が数としては一番多い。
このくらいの旗本屋敷の使用人は、用人、若党、中間2人、女中はせいぜい2人くらいで、用人をはじめ譜代ではなくみんな渡り者である。
500石以上の使用人というと、まず用人、給人、家来が5人くらい、若党1人、中間2~3人、女中が3人くらい。
1000石以上ともなると用人、給人、家来が10人くらい、中小姓1人、若党3人、中間7~8人、女中4~5人くらいである。
奥向きの方は、100~150石前後ではいわゆる貧乏旗本で、腰元もいない。
女は奥様に娘と女中で、奥様といえども娘や女中と一緒になって、畑の手伝いや洗濯くらいはしなければならなかった。
それが1000石前後の奥向きとなると、老女こそいないが、腰元が増えてくる。
1000石以上の奥様ともなれば、何の仕事もしない。
外出をするのは神詣か仏参、親類訪問やこれ以外の外出は許されない。
友達のところへ行くなどという女同士の付き合いは許されていなかった。
お忍びでお花見に行くことも出来ない。
現代人の我々から当時を想像するととても窮屈に見える。
武家女の外出の場合は必ず中間を共に連れている。
こんな具合であるから世間のことは何も知らない、知らされない。
3000石以上の奥向きになると、大名と同じように表と奥に分かれていて、奥には老女がいる。
老女は片はずしで打掛を着ている。