八丁堀 鮨處 司

東京都中央区八丁堀1丁目8番1号

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其の四

奉行

奉行は俗に3奉行といって、勘定奉行、寺社奉行、町奉行の3つがある。勘定奉行と寺社奉行は大名が、町奉行には旗本が奉行になる。

寺社奉行は町奉行と同じに、江戸の裁判と警察を司っているが、武士や僧は寺社方のあつかいで、町人百姓が町方の扱い。

但し寺社方は捕り物の場合は町方へ頼んで捕ってもらう。そうかといって、町方は捕り物の相手が町方の者であっても、寺社方の区域内へ無断で手を入れるわけには行かない。

たとえば犯人を追い込んで、その者が武家屋敷にかくれてしまった時に、無断で町方が手を入れるわけには行かなかったし、又、寺社方へ届けないで坊主を捕えるわけにも行かなかった。

町奉行は、南は数寄屋橋御門内と、北は呉服橋御門内との2組ある。昔は北の方1組だけであった。南北にはそれぞれ奉行がいて、その下に与力と同心がいる。1組というのは与力25騎程度、同心140人程度である。

従って八丁堀には南北合せて与力50騎くらい、同心280人くらいということになる。


大岡忠相

1700石の旗本の4男に生まれた、大岡越前守忠相は8代将軍吉宗に用いられて町奉行となり、寺社奉行となり、1万石の大名にまで出世した。

享保2年2月(1717年)から元文元年8月(1736年)まで20年間も江戸の町奉行を務めていたのであるから、在職中の治績は大いに見るべきものがあったに相違ないが、その事跡は多くは伝わっていないらしい。

吉川英治の小説から生まれた大岡越前は加藤剛、北大路欣也、東山紀之ら錚々たる名優が毎回痛快な大岡裁きを披露している。

年を取ったせいか、お決まりの感動シーンでは目頭が熱くなる。

江戸時代に町奉行から大名になったのは大岡忠相1人だけである。