其の二十八
教育
手習いの師匠
つづき
習うものはまず、いろは(今で言うところの、あいうえお)、次は1、2、3(現代の算数)、それから先は師匠によって多少は違ってきて、例えば「江戸方角」で字を教えながら江戸の地名を覚えさせる(地理)。
それから「竜田詣」、これは近松門左衛門とその兄の岡本一抱との合作になる手紙文の紀行で美文である。
次が「庭訓往来」、これは手紙の文章で、芭蕉の句に「庭訓往来誰が文庫より明の春」とある。
続いて「東海道往来」。
日本60余州の国名を集めた「日本国づくし」これは漢字と仮名まじりである。
最後が「商売往来」で、ここまでで大体の字と地理を覚えて、このほかに男は男の文体で、女は女の文体で手紙を習って、これで1通り終了する。
往来物とは古くは平安時代から明治の初期までにかけて、主に往復書簡(往来)などの手紙の形式をとって作成された初等教育用の教科書の総称である。
単語集や知識集にもなっていて、近世まで識字率を高めるなど、日本の高度な庶民教育を支える原動力となった。
文字の流儀は御家流、大橋流、溝口流、持明院流など、いろいろある。
ここまでで3、4年かかる。
7才で入学して10才くらいで卒業する。
それからは奉公に行くなり、下がるなり、またはそれ以上の学問をする。
概ね、午前中は手習い、午後からは算盤となっている。
年中行事としては正月2日は書き初めをする。
師匠は甲乙をつけて張り出す。
余興として福引をする。
25日の夜にはかるた会をする。
このときは蜜柑に五もくを出す。
2月の初午には強飯(こわめし)とにしめを出して、新入生も入ってきているので大抵は稽古を休む。
3月3日には桜餅と白酒、豆いり。
お花見には師匠は弟子全員を連れて、大方は上野へ出かける。
上野は三味線や踊りの類を禁止しているので、ここを選んでいる。 今とは大違い!
その上、七つにはお山の門が閉まってしまうので、酔っぱらいなどが入ってこない。 今とは大違い!
5月の節句には柏餅、七夕には5色の色紙に歌や詩を書く。
秋には天神様へ行く。
その時は天神様へ最高5両くらいを納める。
これは弟子の頭割りで、社務所の方でも弁当に梅鉢型のうち物のお菓子を出す。
天神様は平河へ行くのが一番多いようである。
このお花見と天神様の2つが春秋2回の遠足のようなものである。
その他は土地の氏神様のお祭り。
師走には煤掃きをする。
教室の掃除は弟子たちがする。
硯を洗ったり、板壁を洗ったりする。
その後には甘酒が出る。
暮れには弟子の家から大抵熨斗餅1枚くらいを師匠に届けてくる。
これを大方は弟子たちが食べてしまう。
つまりは子供の食べる分を親が運んで置くようなものである。
このほか弟子の中で病人でもあれば、師匠は見舞いをする。
原則として一度弟子入りをすれば一生出入りをすることになっている。
従って盆暮れはもちろんのこと、婚礼の場合まで関わり合いを持つ。
1に師匠、2に旦那寺と言って、珍しい物などがあれば分配するのが通例になっている。
弟子師匠の関係は身分を問わないので、武家の師匠のところへ町人が弟子入りしても構わない。
それでも町人の師匠のところへ武家の者が弟子入りすることは滅多になかった。
手習いに行く子供の服装は、武士の子は袴をつけ幼い子は木刀を一本差し、町人に子は前垂れを掛けている。