其の二十六
教育
手習いの師匠
つづき
先生(師匠)が武士であれば脇差をさしているが、そうでなくとも木刀、タンポ槍(稽古用の槍)、薪ざっぱ、折れた弓、矢などを側に置いている。
これは生徒(弟子)を戒めるために持っているのであるから、これで打たれることは勿論、打ちどころが悪くてよしんば死んでも致し方なかった。
そういえば中学か高校の英語の授業で「あの先生は厳しい」というのを、That teacher is strict.とThat teacher is severe.とあって意味がかなり違うことを習ったような。
江戸時代にも厳格だけれども愛情いっぱいの先生たちも大勢いたことだろう。
弟子の中に番頭と言う者がいる。これは今の学級委員長のようなものである。
師匠は弟子を1人で全部見るわけにいかないので、弟子入りをして1、2年くらいの間は、この番頭がみている。3、40人に1人くらいの割合で番頭がいる。
寺子屋ならば寺入りで、弟子入り(入学)は大体7才が普通とされていた。
慣習的に2月の初午に入学する子供が多い。
初午(はつうま)とは豊作祈願の日で、商家では商売繁盛、全国の稲荷神社で盛大にお祭りがおこなわれ、地域によっては子供たちが各家をまわるハロウィンのような催しもあった。
これも別に新学期と言って決まりがあったわけではないので、芝居の寺子屋のように都合の良い時に入ることができた。
この頃は寺子屋にかぎらず藩校や私塾などでも入学時期は決まっていなくて、基本的にいつでもウェルカムである。
日本ではその後、明治維新によって西欧化が進み、いったんは9月入学が主流になるも、富国強兵策により政府の会計年度が4月からとなり、軍隊の入隊届開始も4月になりと、4月が新年度の始まりというのが今へと続いている。
弟子入りのときには、予め師匠に話を通しておいて、OKとなってからその子供本人を連れて行く。
このときは必ず女性が連れて行くことに決まっている。
母親か姉か、もしその家に女手がないときには、近所のおばさんなどに頼んで連れて行ってもらう。
これには別段理由はなく、昼間は男は仕事があって手が放せないので、何となく規則のようになってしまったようである。
束脩(そくしゅう)、今で言うところの入学金(プラス飲食物)は1朱または2朱で、1分持っていくのは余程大きな町家に限られていた。
第24話でも引用したが、1両=4分=16朱=4000文で、1分を現代の2万5千円とすると1朱は約6250円であった。
つづく