其の二十四
時間の鐘
鐘9か所といって、江戸中に公認されたものが9か所ある。
石町の鐘
上野の鐘
浅草の鐘
芝の切通しの鐘
市ヶ谷八幡の鐘
目白不動の鐘
本所横川の鐘
四谷天竜寺の鐘
赤坂田町の成満寺の鐘
の9か所。
鐘撞料(かねつきりょう)は普通間口1間につき、月に3文が決まり。
大名は石高によって、それぞれ徴収されている。
加賀の前田は年間5両くらい支払っていたというから、10万石くらいの大名で年間2分くらいか。
この鐘撞料は幕府によって料金徴収が認められている。今でいうところの公共料金!
自分は耳を押さえているから聞いていないと言っても、支払わなければならない。(どこかの公共放送に似ているかも)
時の鐘は必ず“捨てがね”というものを3回撞く。
したがって時刻を知るのに、はじめの3つは勘定に入れない。
どこの鐘楼にも必ず鐘撞番といって、ただ鐘を撞くことだけを仕事にしている者がいる。
時の鐘のほかにも、時を知らせるものに“番太郎”というものもいる。
番太郎は町内に必ず1人はいて、拍子木を打ちながら町内を回って「七つでござい」「七つ半でござい」といって時を知らせる。
吉原でも夜に2回、各楼内で拍子木を打ってまわって時を知らせていた。それは九つ(ひけ)と八つ(大びけ)。
九つは今でいうところの11時台、八つは夜中の1時か2時!
江戸っ子もずいぶん遅くまで遊んでいたようである。なんだか他人とは思えない親しみさえ感じる。
補足:
江戸時代の金、銀、銭も現在と同じ変動相場制で、
およそ、1両 = 4分 = 4000文
江戸初期は1両が10万円くらいの価値があったので、
1分 = 2万5千円
1文 = 25円
大まかな物価は、
米1升 = 150文(3750円)
酒1升 = 200文(5000円)
てんぷらそば = 32文(800円)
床屋代 = 32文(800円)
だったらしい。