其の十四
目安書(めやすがき)
あるとき、親しくしていただいている大学の総長もされた弁護士の先生と中国の瀋陽へご一緒する機会があった。
「罪刑法定主義というのを知っていますか」
「いえ、知りませんが」
「これは近代国家の前提の1つと言ってもよいもので・・・」
例えば、人を3人殺したら死刑で、2人殺したら無期、1人殺したら懲役20年・・・というようなことがある程度、事前に分かっていて、それに照らし合わせて刑を確定させていくことのようである。
隣国では未だそうなっていないらしい。
さて、江戸時代の話。
江戸時代には定まった刑法がなかったように考えている人もいるようであるが、それは間違い。
いくら江戸時代だからといって、テレビや芝居でする大岡裁きのように、何でも裁判官の手心1つで、決められてしまっては堪らない。
もちろん多少は担当の奉行の手心はあるけれども、奉行所には一定の目安書というものがあってすべてそれによって裁判を下した。
奉行の一料簡で、こいつは気に入らないからと、生かすべきものを殺すなんて自分勝手なことは、なかなか出来ない仕組みになっていた。
それは昔も今も同じ。
但しその目安書というものが今日の刑法などに比べるとかなり大づかみに出来ていて、何かいつもとは違う変わった不思議な事件が出てくると目安書だけでは見当がつかなくなって、どんな裁きを下して良いものか、担当の役人どもはみんな頭を痛めてしまう。
そこらが名奉行とボンクラとの分かれるところで、大岡越前守や根岸肥前守はそういう難問題をうまく切り捌いたようである。
江戸の町奉行でさえこの通りなので、ましてや諸国の代官所、それは諸国にある徳川の領地で、俗にいう天領というところを支配しているのでその土地の出来事は皆この代官所で裁判することになっている。
そこではとても難しい裁きなどは出来ないし、またうっかりした捌き方をして、あとあと譴責を受けるようなことがあっても困るので、少し手に余るような事件には自分の意見書を添えて「何々の仕置可申付哉、御伺」と言って、江戸の方までわざわざ問い合わせてくる。
それに対して江戸の奉行所から返事をやるのを「御差図書」と言う。
つまり先方の意見に対して、その通りとか、再吟味とか、あるいは奉行所の意見を書き加えてやるとかするので、それによって初めて代官所の裁判が落着することになる。
死罪のような重い仕置はもちろんのこと、たかが追放か棒敲きくらいの軽い仕置でも、その事件の性質によっては、江戸まで一々伺いを立てる。
いくらこの時代だからといっても、人間ひとりに裁判を下すということは決して容易に決められるものではなかった。
代官所からわざわざ伺いを立てて来るほどのものは、いずれ何か毛色の少し変わった事件なので、江戸の奉行所でも後日の参考のために「御仕置例書」という帳面に書き留めて置くことになっていた。