其の十一
町年寄(まちどしより)
町奉行の下に、江戸の自治機関として町年寄、名主、五人組、月行事、家主というものがある。
町年寄は樽、館、喜多村の3氏である。
樽氏ははじめ樽屋と号し、代々藤右衛門と称していたが、寛政2年(1790年)4月、猿屋町会所掛の勤労によって姓を称することを許される。
館(だて)氏は奈良屋と号していたが、天保5年(1835年)11月に多年の勤労を以って姓を許された。
喜多村氏ははじめから姓を名乗って代々彦右衛門または彦兵衛と称していた。
これを江戸の三年寄といって、家康が江戸城に入った天正18年(1590年)の任命以来、ずっと世襲していた。
この世襲制度はやはり現代に生きる我々には少々馴染まない。今なら選挙であろう。
町年寄は町人の総支配、つまり江戸の市長という格で、江戸町中一切のことをつかさどる。
各月番を以って種々の達しを出したり、名主の進退の権能を持っていた。